ブログを書く意味は、踊りたいのに踊れてない人(私)へのメモ書きなんです
ブログを書く意味をここで立ち止まって考えてみました。
面倒なのはいやなので、いきなり結論からはいります。
踊りたいという気持ちはあるのに、踊れない人への情報を書き留める。
このためにブログ書いてます。
もともと、管理人は、タナ障害という聞きなれない診断をもらいました。
タナ障害についてとにかく情報が欲しかったことは覚えています。
当時の私自身が欲しかったものを作ろう、と思い、身近な方からの後押しもいただき、スタートしたのでした。
一番初めの記事がこれでした。
はじめに〜バレエをもっと踊れるようになりたいから、タナ切除しました
そうだったんですよね。
タナに困っていたあの頃はほんとに「バレエとタナ障害」についての情報が欲しかった。
こんなことを考えてました。
保存療法がいいの?
どの程度の症状・痛みだったら手術していいの?
そもそも痛みって消えるの?
この痛みは我慢すべきなの?
「ひざ下を捻って使ってるからいけない」って言われてしまう…
ということは、ぜんぶ私のテクニックがいけないんだよね?
怪我のせいにするなんて、ただの甘え?
悶々としてましたねー。
結局、私の場合は手術して正解だったみたいです。
手術という出来事以外にもいくつか要因があっての、今があるなとは思います。
ただ今現在は、タナ障害をどうにかしようと画策している真っ最中…
ではなくなってしまったので、
ブログを書く意味について、ここらで一度立ち止まって考えてみようと思ってます。
考えると言っても、答えはもう出ています。
すぐ上に書いたことがそのまま。
手術という出来事以外にも
いくつか要因があって、今がある。
これです。
じゃあその他の要因ってなんなのよ!というのを解きほぐして
書いていこうと思っています。
着地点というか目指すところはスタートと同じです。
自分自身が欲しかったものを作ること。
つまり、
踊りたいという気持ちはあるのに、踊れない人への情報を書き留めること。
この「人」は私自身です。
だから、たぶん私がやりやすいやり方、分かりやすい考え方、思考回路での説明になってると思います。
私がよく考えるのはこれです。コンセプトと言ってもいいかも。
石ころみたいな情報があまりに多くても、
たしかにダメ。
雑多な情報は確かに無駄。
とはいえ、情報が少なすぎても判断がしにくい。
一見して雑多な集合に思えるものが
目の前にあるとしますよね。
それを、目を凝らして見ているうちに、
なにか重要そうなものが見えてくるはず。
重要そう、とぼんやり感じて、
やっぱ重要かもと判断するわけです。
それが書き手の狙いと同じだったら、
ちゃんとわかったことになるんじゃないかな。
(ずれている時は、また別の話がでてきますね)
当然といえば当然ですが、似ている思考形式の人がもしいたら、その人にはうまく伝わるかもしれません。
汎用性の高い記事にしていきたいのですが、どうもムズカシイ。
このブログが、舌ったらずな説明と、冗長な説明の狭間になっちゃってるは
やっぱり私の実力不足のせいなので、今後精進したいとは思ってます。
話を元に戻すと、なんで踊れないのか、踊るってどういうものかを書いたブログを、
これから書いていきたいです。
踊るってどういうものかを語るって、思い上がった感じですけどね!
でもそういうことを考えていきたいし、
ブログの外の世界では、踊っていたい。
体の調子を整えたり、健康な日常生活を送れるってことが
最終目標じゃない
からです。
私にとっては。
「踊りたいのになー」じゃなくって
「踊ってるよー」って発散し続けていたい。
自分の性格・気質とか、テクニック不足といった現実と向き合うきっかけになったのは、
言ってみればタナ障害なんだなと痛感しているところです。
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